太宰府天満宮行ってきたよ
今日は近くの太宰府天満宮に行ってきたよ
年あけて3日目だけど人多かった〜;;
とりあえず裏道通ってなんとかスムーズにいけたけどね。
バタバタお参りして写真撮ってきたよ^^;
右側の梅の木が”飛梅”ね
↓他サイトから引用
飛梅(とびうめ)
天満宮本殿の向って右前にあります。道真公を慕って京都から飛んできたと云い伝えられている梅の木です。ご神木になっています。
菅原道真公は、若い時から優れた見識と学才で重鎮の地位を重ねて来ましたが、57才の時、901年(昌泰4年)1月25日に、藤原時平の讒言で、右大臣から大宰権帥(長官代理)に左遷され、追い立てられるように邸を離れました。その時に、庭に咲く梅に、
「東風ふかば にほいおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
と詠いかけて、京都を発ちました。ところがその梅が、道真公の後を慕って大宰府の配所(榎社)の庭に飛んできて、毎年花を開いたということです。道真公が亡くなった後この配所の梅は、公を葬った廟所(天満宮)に移しかえられたといわれています。
今日は近くの太宰府天満宮に行ってきたよ
年あけて3日目だけど人多かった〜;;
とりあえず裏道通ってなんとかスムーズにいけたけどね。
バタバタお参りして写真撮ってきたよ^^;
右側の梅の木が”飛梅”ね
↓他サイトから引用
飛梅(とびうめ)
天満宮本殿の向って右前にあります。道真公を慕って京都から飛んできたと云い伝えられている梅の木です。ご神木になっています。
菅原道真公は、若い時から優れた見識と学才で重鎮の地位を重ねて来ましたが、57才の時、901年(昌泰4年)1月25日に、藤原時平の讒言で、右大臣から大宰権帥(長官代理)に左遷され、追い立てられるように邸を離れました。その時に、庭に咲く梅に、
「東風ふかば にほいおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
と詠いかけて、京都を発ちました。ところがその梅が、道真公の後を慕って大宰府の配所(榎社)の庭に飛んできて、毎年花を開いたということです。道真公が亡くなった後この配所の梅は、公を葬った廟所(天満宮)に移しかえられたといわれています。